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「人生ニュートラルで過ごしたい」

「大人が嫌い」


これが、学生時代の私の口癖だった。


今の私だけを知っている方からすれば、ビックリするほどネガティブな人間だったと思う。

自尊心も高くなかった。


というよりも、

「早くいなくなりたい」

と思っていたことすらあるほどだった。


深夜なので、私の過去を少し話そうと思う。

※暗めかつ長いです。
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平和な日々は、ある日突然終わりを告げた

私の家庭は、
・父…小さな会社の経営者
・母…専業主婦
・姉…母の連れ子
という感じの家族構成だ。

私がまだ小さかったときは、父の会社も順風満帆で、羽振りもよかったように思う。


父は不動産投資もやっていて、まさにバブルの恩恵を受けていた。不動産価格が右肩上がりだった頃に家を売却し、さらに大きな家を買った。

おそらく、8,000万円くらいだったと思う。


その頃はお金もあって、母ともそれなりにやっていた。







しかし、そんな日々はある日突然壊れることになる。


そう、バブルが弾けた日、父は巨額の損失を被った。

支払いのために借金を繰り返し、クレジットカードの借金もそこらじゅうに抱えることになった。


この時の借金は、大体1億円くらいだと想定する。

そして、突然母を失った

そこから、父と母は毎日喧嘩を繰り返していた。

子供ながらに悲しい気持ちを抱えていた私は、なんとか仲直りしてほしくて、2人の顔色を常に伺っていた。

「今は辛いけど、未来は幸せになれるはずなんだ」


と思っていた。







そんなある日、母がいなくなった。

母の心もすでにボロボロになっていて、突然家を飛び出したのだ。

母からの「おかえり」を心から求めていた

「お母さんはいつ帰ってくるんだろう?」

「落ち着いたらちゃんと帰ってくるはずだ」

と毎日思っていた。



出かけた日には、帰宅したらちゃんと母が家にいて、

「おかえり。ちゃんと手を洗っておいで」

と言ってくれるような気がしていた。








しかし、そこから5年間、母と会うことはなかった。

母と再会

5年後、母と再会した。

父と連絡だけは取っていたらしい。

それから、3ヶ月に1回母と会うのが唯一の楽しみになっていた。



会えない間も母はパートで働き、お金を貯めておもちゃやゲームを買ってくれた。



でも、やっぱりバイバイするときは寂しくて、悲しかったのを今でも覚えている。

母のリストカット痕

私が中学生になってから、母が帰ってきた。

今だから分かることだが、母は

「子供を捨てて自分だけ逃げ出してしまった」

と自分を責めていたと思う。


母の腕には無数のリストカット痕があり、それがどういう意味を持つのか、中学生の私でも理解できた。でも、また母がいなくなるのが怖くて、聞けなかった。


そんなこんなで同居し始めたのだが、やはり父とは毎日ケンカしていた。


ケンカ中の大人は少しのことで怒るので、私は常に顔色を伺っていた。


そして状況は限界に達し、離婚することになった。

母と生きるか、父と生きるか

離婚するとなれば、親権の問題が出てくる。

あんな父だけど、私にとっては1人しかいない父親で、やっぱり好きだった。


母は、

「どちらについていくか、よく考えて決めなさい」

と私に言った。


私はすごく悩んだ。



どちらかといえば、父のほうが好きだった。



しかし、実際に選択したのは母親に付いて行く道だった。


やはり、巨額の借金が怖かったんだと思う。


父親には、

「おまえまで裏切るんか」

と言われた。




今でも、

「もしあのとき父に付いていってたら、どうなっていたのかな」


とふと考える。


どんな経緯があったにせよ、父を深く傷つけてしまったことは、今でも心にひっかかっている。

悪友との出会い 

離婚後、親戚の家にご厄介になった。

ここから、私の反抗期というか思春期というか、みたいなモノが始まることになる。


今まで、親に悩みを相談することもなかったし、学校でどんなに辛いことがあっても、顔色を伺って一切話さなかった。


しかしこの時期に、私はバイト先でY君と出会うことになる。

Y君は、私と同じくクルマが大好きな青年だった。

2人は意気投合し、すぐに仲良くなった。


Y君は、「走り屋」というものが大好きだった。

「週末一緒に見に行こうや」

と誘われ、深夜の山に初めて出向いた。

「産まなければよかった」

走り屋にハマり、週末は常に家を抜け出していた。

ある日、我慢の限界に達した母と、全面戦争することになった。




母は、

「あんたなんか、産まなければよかった!」

と言った。



私は、自分の存在を改めて否定されたことがひどく悲しく、そして寂しかった。







感情的になった私は、母の目の前で手首を切った。


母はひどく泣いていた。

ダメな自分との決別

母とは頻繁に喧嘩を繰り返していた。

私は、そんな自分のことが何よりも嫌いだった。



「どうにかしてダメな自分を変えたい」

と決意した私は、高校卒業と同時に家を出ることにした。





自社寮のある就職先を見つけ、応募した。

親権者の許可が必要だったので、母の名前を真似て勝手に書いた。



結果、母に知らせないまま就職先を見つけることができた。

出発3日前の告知

「俺、家出るから」

と、就職先へ出発する3日前に母へ伝えた。


母はひどく泣いた。

おそらく、相談されなかったことが悲しかったのかもしれない。


そして出発し、私は社会人としての1歩を踏み出したのだった。

そして現在

そこから転職したり、労働組合を作って団体交渉を行ったりと、さまざまなことがあった。

母とも上手くコミュニケーションを取れるようになり、去年は一緒にディズニーランドへ行った。





過去はそれなりに貧乏だったし、辛いことだってたくさんあった。




でも、私は父親も母親も尊敬している。




なぜなら、私にとってかけがえの無い存在だからだ。







私は、かけがえの無い存在を守れる人になりたい。






辛いことがあっても、

「大丈夫だよ。私がついてるから」

って、誰かを支えられる人になりたい。






だから、どれだけしんどくたって、進むのを辞める気はない。

私には、守るべきものがたくさんある。




これが私の、「頑張る理由」だ。



<画像提供元>
ぱくたそ

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